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【過去ログ】 週末ボランティア掲示板 アーカイブズ



[1696] 第528(××86)回訪問活動

記入者:HARA Hideki 最終更新日:2011/05/08 00:59 [WebSite]
(HOST: softbank219002183033.bbtec.net)

毎度「This is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。

弊サイトやMixiコミュニティ,Facebookページ,twitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方とのご縁に深く感謝いたします。

弊サイトは「役立ちと学びのネットワーク」として,その輪をいっそう広げていきたいと思っておりますので,よろしくお願いします。

去る3月11日に発生した東日本大震災およびその後の諸々の災禍に遭われた方々に,改めてお見舞い申し上げますとともに,犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。

今回の訪問活動の翌週はゴールデンウィークですが,この時期の関西では,福知山線脱線事故,朝日新聞阪神支局襲撃事件などについても,改めて想起し,その犠牲者の冥福を祈ることを忘れてはならないでしょう。

東日本大震災発生から4度目となった,4月23日の訪問活動は,いずれも,阪神淡路大震災の被災者・被災地に寄り添う,役立ちと学びの姿勢に,改めて感心させられるものでした。

こうした姿勢は,お話し伺いの結果にも現れているとともに,その真摯な姿勢が,同時にグループの雰囲気にも,落ち着きと和みをもたらしたといえるでしょう。

新たな参加者の気づきを通して,私たちもまた「お話し伺い」のあり方や方法にも,フィードバックさせていかねばなりません。傾聴ボランティアのコツについて・震災状況の聞き取り(参考メモ)においても,情況によっては,相手を傷つけたり,心をかきむしったりするような,また,己の都合で人やその言辞を利用するような部分があることが解ります。そうしたものについては,慎重に運用するなり,改めたりしてゆくべきでしょう。

一方で,前々回まで2度にわたり,東日本大震災の被災者へのメッセージなるものをひねり出そうという者もいましたが,そうした,被災地・被災者を利用しようという立場からは,都合の悪い,ネガティヴな「お話し伺い」も多く聞かれました。

そもそも,自分の思いをぶつける対象として,楽しみの手段として,政治や宗教のためなどと,利用もさまざまでしょうが,いずれにせよ,役立ちと学びの立場とは相容れない,まさに正反対といっていいでしょう。これからも,いっさいの利用する立場・存在には,断固たる態度で臨みたいと思います。

率直な声に,改めて素直に耳を傾けることを通じて,ここでの役立ちと学びを,新たなメンバーと共有し,新たな,ヨリいっそう深めることができました。

まさに,「論語」學而篇の冒頭の有名な一節「子曰、學而時習之、不亦説乎 〔子曰(のたま)わく、学びて時にこれを習う、亦(ま)た説(よろこ)ばしからずや〕」です。


詳細および全文は,新サイト内「2011 神戸・週末ボランティアNews and Reports」をご覧下さい。


[1695] 第529回、阪神・淡路大震災 傾聴ボランティアの募集

記入者:東條健司 最終更新日:2011/05/07 20:20 [E-mail]
(HOST: zaq771a6440.zaq.ne.jp)

 週末ボランティアは、阪神・淡路の被災者がこの度の東日本の地震を自らの体験と合わせてどのような思いを持っているかを直接聴く中で、その心を共有して行きたいと思います。

第529回、阪神・淡路大震災 傾聴ボランティアの募集

日時:2011年5月14日(土)午後1時〜7時
(訪問だけは5時に終了いたします)

集合場所、時間:「神戸市勤労会館」三宮から徒歩5分
・午後1時に702号室にご集合下さい。

訪問先:神戸市中央区、HAT神戸・脇の浜住宅

ご連絡は電話078-734-6544、携帯090-8121-9709週末ボランティア代表:東條健司まで


前回の訪問は新人3名を含む参加者12名でした。

・60代女性,一人暮らし。一部損壊のため公的支援は受けられず。子どもが成人した後夫と別れた。3年前まで病院に勤めていたが,待遇が悪く,精神的苦痛もあって辞めた。労働条件・待遇は年々悪化している。東日本大震災の被災者には,神戸では津波はなかったが被災した人は我々と同じと思う,としながらも,過剰な支援がかえって働く意欲を削ぐことになるのではとの厳しい見方も。

・80代女性,70代夫と夫婦2人暮らし。中央区で全壊。避難所暮らしはあまりせず,宮崎県営住宅を経て西区の仮設住宅で2年ほど過ごす。友人もでき,気が休まった頃にこの復興住宅へ。今は腰痛でままならないが,少し若い頃は,この階下で盆踊りの練習をして神戸まつりに参加していた。同じ仮設住宅にいた者同士でここに入居したかった。4月から家賃が徐々に上がる。ご主人は,訪問時風邪とのことだったが,普段は階下の花の世話を一人でしているとのこと。

・60代男性,夫婦2人暮らし。長田区で一部損壊。地震のとき,寝ていたところにグーという音がしてだんだん音が大きくなり,2〜3分後に縦揺れがきた。背中に本棚が倒れてきて,奥さんに助けられた。芦屋で経営していた雑貨店が入っていたビルが全壊したが,住民票を置いていなかったため義捐金などは出ず。商品などを取り出して仮設店舗で営業した。行政は冷たかった。6年前に仕事を辞めた。人間が信じられなくなり,ストレスから網膜剥離になり,一時は目が見えなくなった。東日本大震災の被災者には,頑張ってとはいえない,人の気持ちと絆を考えて,相手のことを大切にしてほしいと。

・60代男性,一人暮らし。長田区で全壊。近くの小学校がいっぱいだったので須磨区の体育館に避難し,六甲アイランドの仮設住宅へ。震災のストレスで脳梗塞に。7回倒れたが,意識がなくなり全身が動かなくなることも2回あった。少しろれつが回らないので喋りにくい。今は病院が通いの日々。タバコと酒はやめていて,そのおかげで少し不自由ながら生活できている。右手が少し不自由で字が書きにくい。震災後はトレーラーに乗って全国を走っていた。後にタクシー運転手を10年。当時は知らなかったが,この復興住宅に同僚が住んでいて,まだ仕事を続けているようだ。東日本大震災の被災者には,頑張れとよく言うがどうしようもない,頑張れと言えない,と。

・60代男性,夫婦2人暮らし。長田区で全壊。全壊した文化住宅からは自力で脱出した。近所の人を数人助けたが,新聞配達中の人が倒れた家の下敷きになって逃げられず,そのまま焼死したのが忘れられない。娘の知り合いも亡くなった。近くの小学校に避難,現在介護職に就いている娘とともに避難者を世話するボランティアをしていた。ポートアイランドの仮設住宅を経てこの復興住宅へ。近所つきあいはほとんどない。この住宅で清掃活動をしていたら「お金をもらっているのでは?」と言われたので辞めた。現在は夫婦で大学の清掃の仕事に行っている。安くていいと,昼食を学食で食べることも。お金に困る,ため息ばかりつく,国民年金だけでは食べていけない。東日本大震災の時は,震度2で,蛍光灯のヒモが揺れたぐらいだが,阪神淡路大震災を思いだしたようだ。

・70代?女性。「ちょっとしんどいので…」と,インターホンで簡単に安否・近況確認。

・「何も話したく有りません。体も健康ではありません。ごくろう様です。」と自ら支援シートに記入。


[1694] 役立ちと学び

記入者:HARA Hideki 最終更新日:2011/05/01 00:57 [WebSite]
(HOST: softbank219002183033.bbtec.net)

毎度「This is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。

弊サイトやMixiコミュニティ,Facebookページ,twitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方とのご縁に深く感謝いたします。

去る3月11日に発生した東日本大震災およびその後の諸々の災禍に遭われた方々に,改めてお見舞い申し上げますとともに,犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。


twitter - welove_kobeでは、繰り返しお知らせしておりますように、不偏不党の立場から、現職議員・首長、立候補を予定されている方のアカウントへのフォローはしておりません。なお当アカウントの趣旨に反しない限り、フォローはお受けしております。

しかしながら、一部に不適切なフォローやツイートが見られましたので、フォローをお断りするとともに、ブロックさせていただきました。

以上ご理解賜りますようお願いします。


ウェブサイトおよびMixiコミュニティにつきましても、「役立ちと学びのネットワーク」として、5月より、さらに邁進していく所存です。

これまでにまさるお引き立ての程をほどを宜しくお願いいたします。


[1693] 4/23初参加者の感想

記入者:矢萩千治 最終更新日:2011/04/29 14:01
(HOST: p1006-ipbfp3201osakakita.osaka.ocn.ne.jp)

☆O.Cさん:お話を聞けたのは一人でしたが、初めての経験でとても新鮮でした。あまりうまく質問できず、申し訳なかったのですが、お話を伺うことで、その方の心のケアをしているということが、実感をもって感じられた気がします。大変貴重な経験をさせていただきました。ありがとうございます。

☆S.Aさん:お話を伺っている方が、大切にされているものを一つでも話していただくことができればと思いました。傾聴は初めての経験でした。皆さんが傾聴されながらも、しっかりお話の内容を覚えていらっしゃる。震災について、私自身も学びたいと思います。


[1692] 東日本大震災 大槌・釜石(花巻) の声

記入者:東條健司 最終更新日:2011/04/24 16:15 [E-mail]
(HOST: zaq771a6440.zaq.ne.jp)

東日本大震災 大槌・釜石(花巻) の声  29人

(週末ボランティアでは、この4月19日から20日にかけて、被災地大槌の被災者と、釜石からの集団避難者・花巻の台温泉の方々からお話を伺って参りました。どうか皆さん、この方々に手紙を出して、心の交流を深めてください。グループA〜Fの(  )の中の住所に、自由に手紙を出してください。いずれも避難所は流動的ですので、早い方が良いでしょう。被災現地はあなたの便りを待っています。週ボラ代表、東條健司、神戸市須磨区飛松町2-3-18-505。078-734-6544、090-8121-9709。)

2011年4月19日グループA(岩手県上閉伊郡大槌町 安渡(あんど)小学校 2階階段前教室)

・女性(70代)
まず言いたいこと。仮設住宅が一番ののぞみ。どこでもいいから、早く作って欲しい。手足を伸ばして休める場所が欲しい。今は30cm×60cmの畳、4枚を並べてそこが1人のスペース。足りない物はない。三食しっかり頂いている。それ以上は望まない。これまでの人生、地域への思い。家族に犠牲者はいない。息子との2人ぐらし。息子は釜石で働いている。夫は魚保管用の冷蔵庫で働いてきた。15年前になくなった。生まれた時から大槌で暮らしてきた。ここは全てがいい。隣同士が近いし、声をかけあえる。朝起きれば洗濯物を干しながら話しをする。お隣同士が本当に仲良し。都会とは全然違う。大槌は漁業の町。ここでとれるさけはうまい。風が冷たいからかな。
津波について。家は海の近く。チリ地震では1階まで水が来た。今回も2階は残ると思っていた。でも、全部もっていかれた。津波が来たのは揺れてから15分だったか30分ぐらいあったか。横から見て山のような高さだった。2階に残った人や、忘れ物をとりにいった人は流された。いつかは津波が来ると思っていたけど、こんなに大きなものが来るとは思わなかった。市は壊滅状態。漁業も後継者がいない。今から直してやっても、借金が残るだけ。 自分は息子と一緒に、揺れた後すぐに車で安渡小に避難した。学校の前の鉄橋の所まで波が来た。津波は、学校から見た。流れている人も見た。
大槌でも火が出たところがあったが、安渡は火がでなかった。でも、ここにいても、ガスの爆発するような音が、パンパン鳴っていた。自衛隊には大変お世話になった。
震災の日から食べるものはあった。学校に備蓄してある米があったから。
震災当初は20日間、息子と校庭で、車の中で暮らした。それから避難所に来た。
今後について。今は、泣いたり笑ったりの繰り返し。まさかこんなことがと思うと涙が出てくるが、友達と話していれば笑顔になる。その繰り返し。元居た場所に戻る気にはならない。これからのことを考えると、高台に住まないと。 早く仮設住宅に移りたい。

・女性(80代)
今の希望。早く仮設が出来て欲しい。津波と亡くした息子について。こんなに大きな津波が来ると思わなかった。早く逃げろと息子に言われたので逃げた。でも息子は津波に流されて亡くなった。52歳だった。自分は着の身着のまま、何ももたずに逃げた。孫も一緒に逃げたが、孫は無事だった。高校生。今も、この教室に一緒にいる。
安渡の丁目に住んでいた。海からは2.3分、避難所までは1分のところ。近所でもたくさんの人が亡くなった。息子は見つかっただけまし。まだ行方不明の人がたくさんいる。早く見つかって欲しい。
息子は東京で働いていたが、3年前にけがをして、それでこっちに戻ってきた。実は3月18日から、また東京に行って働く予定だった。地震がもっと遅く起こっていればよかった。その3月18日に息子の遺体が見つかった。実は、夫の月命日でもあった。
ここでの暮らし。ここでは、隣同士仲良し。最初は体育館に入ったが、一度釜石の親戚の家に行った。でも地元がいいから、また大槌に戻ってきた。
元気にしゃべっていられるのも、皆さんがやさしくしてくれるから。色々な支援もしていただき、本当にありがたく思っている。でも、本当は泣きたくなる。息子のことを思い出すと涙が出てくる。だからこうして話すのもつらい。

・女性(60代)
津波について。自分はその時間働いていた。店長に逃げろと言われて急いで家に帰った。ガス栓を締めてトイレに入ったら、トイレもゆれて怖い。毛布を2枚だけもって車で避難所に逃げた。最初は「城山」の避難所に逃げた。家は流されてしまった。
夫は別に逃げて2日間行方不明になった。息子と2人で探したら別の避難所にいた。
本人は記憶喪失状態で、その間のことは覚えていないという。
行方不明の妹を捜す日々。この避難所は自宅から離れているが、移ってきた。その理由は妹が行方不明になったから。実家が安渡にあり、全て流された。妹の車はすぐ近くで見つかったが、本人はいまだに見つからない。1日に2回、遺体安置所に通って、写真を確認している。それ以外にも、自衛隊の人から、年格好の似た人が見つかったら携帯に連絡が入るようになっている。気を使ってくれて、ありがたい。一日も早く妹を見つけたい。これが今の一番の希望。
今後のこと。家が欲しい。帰る家がないのはつらい。元の場所にもどりたい。高台に、という気持ちもあるが、みんなが住める訳じゃないし。それなら、元の場所でいい。毎日変わりないと思っていた日常だが、普通に家をでて働いて帰ってくる、そんな平凡な生活がとてもいいことだと強く思う。支援物資は十分だが、枕があれば。今はタオルを丸めているが、ぐっすり眠りにくい。                  
   以上

2011年4月19日グループB(岩手県上閉伊郡大槌町 安渡小学校 2階階段前教室)

・女性(40代 
父親が亡くなりました。北上町で火葬したが11日もかかった。油がないとかでどこもいっぱい。私は盛岡市の搬送会社に頼んで----。
3/11職場に居て地震速報を聞いていたら、揺れが大きく外へ出た。直後に町内放送「大津
波がきた」と一回だけ放送。子供達を迎えに車をとばした。家は流れて跡形もない。捜しても自分達のものはなく、瓦礫(がれき)ばかり。3/9避難警報出ていたので、このときは家へ避難グッズを取りに帰ったが。実家の父に「早く逃げてよ」と声をかけたが、線路ごともっていかれた。父は亡くなり、線路はなく、家も潰れました。せっかく避難したが、それ以上の大津波だったので、犠牲たくさん出てしまった。
大槌町安渡も火が出た。町の中心も火が出て、空襲のようだった。焼けてる死体を見ない
ように言われた人も多い。焼死体を見るのはつらいです。毎朝8:00朝礼、前日の活動報告
で、毎日遺体の数の報告ありますが、聞くのがつらい。
小学校の子供、明日から学校です。ここは使用できないので、となりの吉里吉里小学校に
なります。バスないので、明日の始業式だけ参加します。
水門の近くなので全部もっていかれ、がれきすらない。ピアノ重いがそれもなかった。
流された車は購入してまだ1年。お父さん仕事で車買わないといけないが-----。
住民票とれるようになったが、となり町より遅れている。昨日みたいに天気が良いと「こ
んな日には何回も洗濯してた」と思いだす。この教室に小学生の子供達がいなくて、お年
寄りだけだと雰囲気暗くなる。子供がいるので明るくなれます。がれきが山積みだったが、道もついてよくなった方です。安心して眠れる環境に戻ってほしい。

・女性(40代◆
コンタクトレンズの購入で14:23のバスに乗っていて、地震に遭遇。バス途中で降りて、歩いて安渡小学校まで戻る。大津波警報で新港町まで帰れない。海面の波を巻き上げて第二波で電柱が倒れ、上の国道まで上がってきた。津波の水の恐ろしいこと、自宅は流された。この学校に泊まったが、寒くて怖かった。
 兄は亡くなった。身元確認できたが溺死、短時間での水死だった。町長も亡くなり、役場の機能はなく、身内の火葬は自分達でさがすようにというので、私は八幡の方でやった。
まさかこんな大津波がくるとは思ってなかった。写真を見るもの無惨。私が生きている間
に、こんなのが来るとは思ってもない。まだ仮設住宅は建っていない。地震大きかったが、津波はもっと怖い。2階にいれば大丈夫と思っていた兄は亡くなった。避難しようと言ったが、「俺は大丈夫」と言ってた。ホットコーヒーに砂糖を入れて飲むのが好きだった。兄が見つかるまで、コーヒーは飲めなかった。
私の子供は高校生だが、大槌高校に避難している200人〜300人の被災者は自衛隊の誘導
で別の避難所へ行った。明日は大槌高校の入学式です。私はハローワークで仕事を捜している最中でした。思いだしたくないが、なにもかも無くなった。写真1枚でも見つかれば。釜石、陸前高田テレビに映るが、ここは出ない。しかし被害が大きいところです。町長は役場に寄って課長と一緒に出てきて、職員と共に上にあがったが、助かった人と死んだ人に分かれた。町長は逃げ遅れ、名札があったので身元確認できた。山田町など町長がいるところは、がれき撤去なども早い。ここは機能していないので遅い。自衛隊の人は風呂を用意してくれ感謝しているが、何時いなくなるかと心配だ。
ここはプライバシーもなく体調こわす人も多いです。地震から津波まで15分、こんな大津波がくるとは-----。海面の水を巻き上げて黒けむりの感じでした。ついこのあいだまで生きていた人が死んだと思うと悲しくなる。食料買うにも店がない。生活をどうしていけばいいのか------。ここが一番高いです。すぐ後ろが国道です。携帯で大槌の航空写真を見たが、何も残ってなかった。アルバム、写真見つからない。水門壊れて跡形もない。
早く仮設住宅の申し込みの段階にしてほしい。地震が夜でなくてよかった。玄関の引き戸のレールだけ残った。

・男性(60代)
私と女房、息子の3人はバラバラに、3台の車で逃げた。3人は無事だったが、女房の妹はまだ見つかっていない。私は栄町です。ブロックで家の跡はわかります。仮設住宅作っても、ここが最後になります。家のセメントの土台だけ残った。
私は船乗りです。阪神淡路大震災のとき、神戸におりました。下で働いて、上で暮らす。
アメリカなんかそうですよね。津波てんでんこ です。

・女性(30代)
仕事で釜石にいた。コインパーキングから車出せなくて、高台(たかだい)に逃げた。体
育館で2時間だけ寝た。大槌の情報が釜石に入らないので、早く帰りたかった。次の日、
12:30〜16:00歩いて帰った。トンネル真っ暗で怖かった。壁にさわりながら帰った。車だと25分くらい。結局車は流された。小学生の子供がいる。「避難している」の携帯入ったが、本当はそうでなかった。まだ避難中だったよう。
釜石の津波は急だった。家も流されてきたので、「もうここまでか!といった感じ。生きて
いれば子供会えると思って、必死だった。山の中でもいくしかないと思った。いくつかの
トンネルがあるが、真っ暗だったので怖かった。携帯はトンネルの外で切れた。見通しはないです。壊滅状態です。小学校統合の話がある。この学校がなければ半分以上は死んでいた。釜石でこの安渡小学校はなくなっていると思っていた。
各学年ごとに一つの教室でみんなが勉強できるように、早く戻ってほしい。今堤防がないので、地震がまた来たら怖い。
以上

2011年4月19日グループC(岩手県上閉伊郡大槌町 安渡小学校 体育館)3名

・(スーパー店長)
仕事で釜石にいた。地震のとき、スーパーで働いていた。セールスと話をしていた。揺れ
だんだん大きくなって、店内放送で「大きい地震なので表の駐車場に避難してください」
と言った。その後いきなり停電、いきなり窓ガラス割れた。海のそばなので、水平線に白
波見えた。店長だったのでレジのお金持って、間に合わないと思い2階に上がった。そ
の瞬間、振動がボーンときた。ここで死ぬと思った。
階段の上に水きたが、1m位でとまった。今だ、と思って逃げた。稗田駅へ逃げた。駅の他の人が「早く走れ!津波が来た!」第二波だった。その晩は泊まった。
会社のお金持ってたので、問屋の人に朝7:00お金を預けた。それから20kmトンネルを抜けて歩いて帰ってきた。家が崩壊した国道を歩いてきて、45号線の道路が崩落して歩けないので、線路の上を歩いた。ここに着いたのが午後2時〜3時くらいだった。足の指がケロイドみたいになった。家族は4人です。
テレビで津波警報よくやっていて、2〜3日前も。まさかこんな大きい津波が来るとは思わ
なかった。車は4台あるが1台だけ残った。家と職がなくなった。
地震だけならまだいいが、津波があったからメドは立たない。年寄りから前の地震のこと
は聞いていたが、それはまだ小さい津波だった。今度はこの体育館の高さの2倍の津波だ
ったと思う。この小学校の10m位下まで水が来た。とてつもない津波だった。
町長が死んだからしょうがないんだけど、仮設住宅、住む空間がいつになるか情報が遅い。
となり町より遅い。違う生活環境、共同生活なので我慢はする。不満を言ったらバチがあ
たるよ。

・(店長の奥様)
母親は脚が悪いので途中まで車で上がった。助かりました。夫は駄目だと思った。逢えた
ときはよく助かったと思った。何も持たなかった。夜になると今でも怖いです。明日という日が来るのかと思い不安です。

・女性(70歳代)
 私は娘婿の息子を亡くした。今は娘と孫2人(4歳、中学1年)の4人暮らしです。
近くのガソリンスタンドで働いていた。社長がミスだった。社長が消防団で先に行くと逃
げた。知り合いが「おめぇーの息子、まだ油のことやっていた」と言っていた。1週間後
にガソリンスタンドのところで見つかった。花巻で火葬した。
 私の主人はまだ見つかっていない。この小学校の下の方にいると思う。ここまで上がってきて、携帯電話を忘れたと言って家に戻ってそのまま。
波は水でなく泥、見たことないはじめてのこと。夜は外のテントで毛布1枚に3人。
 娘は働いていたので来なかった。2日目の夕方帰ってきた。そのときは喜んだ。息子は37歳だった。4歳の孫はお父さん亡くなったのがまだわからない。いつも一緒にお風呂入っていた。孫をどう育てていいか心配です。
 主人は78歳、悔しいけど仕方ない。中学の孫は6年間頑張ると言っている。自衛隊の人は今日も、この小学校の下で3人の遺体を見つけている。主人も見つかると思う。死体をアルバムで見せるが、見るものではない。目が飛び出したり、顔がよじれたひどい状態。手も足もなく、顔は真っ黒だったり。子供には見せれられない。ここに40年住んでいる。堤防のすぐ近くの家だった。孫おぶった時、脚は痛くなかったから不思議だ。これから頑張って孫を育てていきます。
                                  以上

2011年4月19日グループD(岩手県上閉伊郡大槌町 安渡小学校 体育館)4名

・男性(70代)
5〜10分で津波が来たので、年寄りはのまれこんでしまう。話にならない。一言で言えない。生きているのが不思議。家の裏が山、しっかり海を見た。津波の恐ろしさをしっかり見た。この辺は一軒も家がございません。それだけすごかった。息子、お母さん一緒に、山へ行った。家は将棋倒しだよ。仮設住宅が一番だよ。低いところは許可にならない。土地を見つけるのに金かかるし、交渉していて話はすすんでいると思うが。陸前高田市は仮設に入っているが、ここは遅れている。一日も早く仮設住宅に入りたい。一日も早く元の生活に戻りたいよ。夜ちょっとしたことで喧嘩したりになるし、早く仮設に行きたい。頑張ります。

・女性(70代上記奥様)
車もなにもないから、買い物もたいへん。バスもすぐに乗れるところだった。食べるのはけっこういただいているから。

・女性(70代)
 流された鉄橋のところに住んでいた。セメントだけ建っている。「水が大事だなぁー」と
バケツに入れてたら、主人が「すぐ逃げろ」と言って、主人は玄関から、私は裏口から。
その主人はまだ見つかってない。私はお寺に上がったら、すぐに津波が来た。2階にいて大丈夫だと思っていたのか、船が家がどんどん流される。お盆の灯篭流しの感じ、家が燃えたまま流されている。パニックとおり越して、悲しい、辛いの感情でなくて、表現できない。
 主人は絶対に流されないと思っていたのに。あちこち捜したがまだ見つかってない。
子供は46歳で千葉県で独立しており、1回ここに来ました。頑固な父だったので子供たち
は「お父さんが行方不明」と言っても、「仕方ない」というだけだが。親子だからいろいろ
あると思う。いくら待っても主人は出てこないと思う。お買いものの巾着だけで、何も持
って出てない。何回も津波警報というのがあっても、逃げていないから。堤防も高くなっ
たという安心感あったから。隣りの人に3mと言われたけど、私は和歌山出身だから想像つかない。竜巻はみたことがあるけど。主人は2階にいて、大丈夫と思ってたんだろう。
この小学校の下まで水がきていたからすごかったよ。
 悲しいという感情がないのが不思議だ。私の家の並びで3人が死んだ。私の息子は神戸震災で1週間ボランティアに行って、「水も困ってて大変だった」と言っていた。良いことをしたわねーと、私は言いました。主人の弟が病気で病院にいるので、千葉に行けない。

・(近くの女性)
9mの波が来たと思う。海の水がいったりきたりしてた。チリ地震津波の後に、堤防高くした。ここを超えたらたいへんだとは思ったが。今までも津波警報解除して戻ってきたから。あぁ駄目だなぁ、家はないと思った。地震のとき私は家にいなかった。居場所がないのが悲しい。
                                  以上

2011年4月19日グループE(岩手県上閉伊郡大槌町 安渡小学校 体育館)3名

・男性(60代 
逃げるのが早かった。電気消えた。大津波警報出たので、すぐに車で逃げた。財布も持た
なかった。車で妻の方に行ったが、妻は会社の人と逃げた。海岸のそば、家の2階にいたが水が来たので、走って逃げた。2階が玄関、階段から水が上がってきた。こんなに早いとは思わなかった。1回水が引くと思ったので、ガラス片づけていたら、すぐ水が来た。道路に並んでいた車は全部流された。まさかと思った。水引いた後、入ってくる水がバーと来た。

・女性(60代)
私は仕事場が海に近かった。会社の人が車で、30秒早く、そのあと歩いて逃げた。
家の近くの海岸沿いの人は、堤防があるので安心して逃げなかった人が多い。
前の家のローンが残っている。建てて13年。親戚の方が亡くなりました。
逃げる途中水を見てる間もなかった。

・男性(60代◆法
騒ぐ間もなく、声を出す間もなく、水が上がってきた。最初きたあとすぐに本当の津波が
きた。玄関出て山に逃げた。仮設住宅は建てるところがない。住む所決まれば頑張れるが。危なくとも海のそばがいい。津波めったに来ないから。離れたくない。
以上


2011年4月20日グループF(岩手県花巻市台温泉観光荘 釜石被災者)12名
                                        
・佐々木男性(62)独身、87歳の母と2人暮らしです。地震のとき東京にいた。小さい頃チリ地震津波で、津波は知っている。3/11の地震で家は流された。母は肺炎で入院中。将来の釜石の力になりたいです。

・浜田男性(73)漁師。津波は次々と重なってきた感じ。第1波より2波3波がすごかった。入浴は息子のところに行って、隣りの家で世話になりました。入浴は7日目です。仮設住宅は2年なので、その後を考えないと。浜で3代育っている。漁業を続けたいが73歳なので、借金は苦しい。仮設住宅に入ってから考えたい。年金は国民年金だから。1000万くらいの金額はなかなか返せない。

・浜田奥様(67)家は全壊。漁業、ホタテ(帆立)の出荷を3/11行っていた。クルミをむいてたときに地震。テーブルをつかんだ。お父さん来てポットは倒れた。外へ出たが瓦落ちてきた。津波のバリバリという音がした。そのまま逃げた。着のみ着のままで助かった。遅れた人は駄目だった。家族はみな無事。親戚の人は亡くなった。津波は黒く感じた。バリバリという音、家を壊しながら。
高校生の男子で、じいちゃん、ばあちゃん助けようとしておぶっていたが、波が来てがれきに挟まれて肋骨が骨折した。着がえしないで毛布くるんで木を燃やして助けた。翌日病院に行った。じいちゃん、ばあちゃん流された。
次の日まで山にいた。がれきで歩けない。その日は食べないで過ごした。次の日は山を越えて親戚の家に行って、兄弟4家族、プロパンガス使えた。水は外から汲んできた。

・野村男性(50)すぐ避難して助かった。山を駆け登って助かった。県巻の窓が外れた。すぐ逃げない人がやられた。30分あったからすぐ近くの山に登った。1週間前に避難訓練。親戚で2人逃げ遅れて死んだ。物は持たないで逃げた。父親は昨年死んだ。40年前の家でした。津波は滝が落ちてくる感じ。学校がはじまってくるので、子供のいる人はここに来れない。また学校がはじまると避難所がなくなるから、またたいへんなことになる。

・山崎男性(72) 高台(たかだい)の昔の小学校があった下。漁師のほとんどの人が、あの津波がくるとは思ってなかった。堤防つくるとき、大学の先生が実験した。まさしくその通りになった。半分は人災です。昭和8年の昭和三陸大津波の経験があったので、高台に家を建てた。波は第2波の波がすごかった。
入浴は6日目、栗林町で。

・山崎奥様(71)仮設に2年入っても、その後が心配。70歳を過ぎているから、住む所をどうしようか心配です。この旅館は仮設ができるまでです。

・山崎女性(60)母は87歳です。海から100mのところ、土台が残っただけ。悲しいというより天災なので。妹と買い物に行って、45号線を走って14:00家に帰った。車を駐車場において、しばらくして地震。母を外へ出して、近くの5分のところの高台に登って、10分後くらいに岩手缶詰から波がきた。車、家が流れたきた。高齢の方の死体も見た。近くの3階の人が気絶。
顔見知りの人が犠牲。84歳の男性、位牌を取りに戻り亡くなった。私の家は壊滅だけど命は大丈夫でした。生かされたと思っている。宮古から釜石に早く戻れたので、頑張ろうと思っている。被災した場所を車で走っていた。1時間早く戻ってきたので助かった。高台は10mくらい。津波のスピードがすごい。海のそばなので、海からわぁーと来た感じ。ヘドロのような黒い感じ。缶詰工場から鉄砲水のように来た。その後じわじわと。土台だけしか残らない。高齢の方で頭の上まで水が来た。物につかまって助かった人、5〜6人いた。避難所で聞いた。みんな70〜80代。
情報がないので津波は釜石だけだと思った。2日目あたりに自衛隊が来た。3日目に神戸の医療団の人が来た。前回経験しているところは違うと思った。感激した。
その日避難所で食べなかった。食糧、トイレ、水の3班に分かれて、もらいに行った。食糧は集まった。たきぎで火を燃やした。翌日からスーパーに電話して流されたものを集めた。若い人中心で1日2食食べられるようになった。リーダーが大事だと思った。
入浴は5日目です。避難所出て親戚の家で。避難所の炊き出しですが、高齢者は外出できないので恩恵を受けられない。

・山崎 妹(57)今回は来ると思い、車で高台に逃げた。途中、車をぬうように逃げた。親戚2人、火葬できてよかった。町内会では家は壊滅、流された。

・沢口男性(52)土けむりで竜巻かと思った。電柱が倒れ駄目だと感じた。後ろを振り向けなかった。あとで被害わかったが声も涙も出ない。入浴は8日目。

・沢口奥様(52)津波はゴーという音と共に、竜巻だと思った。一瞬だった。水色でなく茶色ぽい。津波は映画のシーンみたいに、後ろから前から来た。
昔の中学校の体育館、1200人。食事はせんべい2枚、バナナ1本を2人で分けた。毛布1枚。新聞紙を体に巻いた。
避難所はふとん2畳くらいで狭く苦しかった。ここは畳の上で寝れるので嬉しい。畳がいい。ボランティアの人が体を揉んでくれた。「体が張ってますね。そんなに頑張らなくていいですよ」と言われホットした。気を張っていたので楽になった。

・岩崎女性(59)嬉石町に居た。ここまでは来ないだろうと思った。来る来ると言ってこれまで来なかったので、埼玉の娘から電話でテレビ見たと連絡あり、逃げた。後ろ見たら波がきて、車ごと流された。運よく流された家が壁になって、車の窓が開いて畳に乗り、母親ひっぱりだして、畳に乗って助かった。波の気配なかったが、瞬時に迫ってきた。津波警報が解除したら帰ろうと思い、着のみ着のまま出た。運が良かったと思う。入浴は5日目です。
母親89歳、親戚の家にいる。私は息子の所。長くなってくると迷惑ではないかと気を使ってしまいます。それで母親と一緒にここに来ました。はい、ここでは家族で個室を使用。これがとてもありがたいです。

・葛西女性(71)71歳の夫と二人で船を出して昆布をしている。2人暮らしです。お茶飲みを終えようとしたとき津波がきた。隣りの家はおばあさんがいる。私は車を運転できない。「津波来た逃げろ」と若い人の声。お父さんは軽トラック、私は-----。2人助かった。その人は命の恩人。次の日行ったらがれきの山。2階は残った。お父さんのかばん、がれきから出てきた。4/18(月)から台温泉の観光荘に来た。それまでは親戚に世話になっていた。親戚で家族流された人いる。
国道のそばのドライブインで避難、おにぎり1個だった。その後避難所で1日2食、おにぎり。世話してくれる人がいた。(涙声)
                             以上


[1691] 第527(××85)回訪問活動

記入者:HARA Hideki 最終更新日:2011/04/19 03:27 [WebSite]
(HOST: softbank219002183033.bbtec.net)

毎度「This is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。

弊サイトやMixiコミュニティ,Facebookページ,twitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方とのご縁に深く感謝いたします。

去る3月11日に発生した東日本大震災およびその後の諸々の災禍に遭われた方々に,改めてお見舞い申し上げますとともに,犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。

東日本大震災発生から3度目となった,4月9日の訪問活動は,参加者12名,うち初参加2名と,前回に続き2桁の実質参加者を数えることとなりました。

東北被災地・被災者へのサポートが様々な形で広げられる中,あえて,16年前の被災地で,今なお呻吟する被災者の声を傾聴し,忘れることなくその立場に寄り添うという行動を選択されたわけで,そのこと自体が,今まさに,先の被災地たる神戸の地に在る人々に,ほんとうの意味で,力になり,役立つことであると,その意義を確認したいと思います。

倉谷さんですが,前回同様,今回も訪問活動を終えたあと,初参加のメンバーをあわせて,交替でお見舞いしてきました。

終了ミーティングにおいて,参加された皆さんそれぞれの「お話し伺い」ぶりを拝見する中で,この時期に敢えて阪神淡路大震災の,神戸の被災者に耳を傾け寄り添うことの意義が,ハッキリとしてくるのを感じました。

その一方で,伺ったところから,東日本大震災被災者へのメッセージをひねり出し,それを宣伝にも利用しようという,一部の動きについては,懸念しなければなりません。そうした姿勢は,継続して一所に根ざした活動を継続しようとするうえで堅持すべき立場や,「傾聴」の本来あるべきところとは相反する危険があるもので,東北被災者への激励となる前に,誤ったメッセージとして,参加者の姿勢・態度をして,これまでの被災者に寄り添い,役立ち学ぶものから,己の都合で利用するものへと,転落せしめかねないものだからです。

もちろん,これまで続けてきたような復興住宅訪問活動以外のことを否定するものではありません。それはそれとしてやればいいだけのことですから。

これまでの被災地・被災者に寄り添い,役立ち学ぶ。今こそこれを大切にしましょう。


詳細および全文は,新サイト内「2011 神戸・週末ボランティアNews and Reports」をご覧下さい。


[1690] 第528回、阪神・淡路大震災 傾聴ボランティアの募集

記入者:東條健司 最終更新日:2011/04/16 11:52 [E-mail]
(HOST: zaq771a6440.zaq.ne.jp)

 週末ボランティアは、阪神・淡路の被災者がこの度の東日本の地震を自らの体験と合わせてどのような思いを持っているかを直接聴く中で、その心を共有して行きたいと思います。

第528回、阪神・淡路大震災
傾聴ボランティアの募集

日時:2011年4月23日(土)午後1時〜7時
(訪問だけは5時に終了いたします)

集合場所、時間:「神戸市勤労会館」三宮から徒歩5分
・午後1時に702号室にご集合下さい。

訪問先:神戸市中央区、HAT神戸・脇の浜住宅

ご連絡は電話078-734-6544、携帯090-8121-9709週末ボランティア代表:東條健司


前回の訪問は新人2名を含む参加者12名でした。

・60代女性,中央区で全壊。親戚が住む東灘区の市営住宅までほとんど1日歩いて向かったが,そこも住めず,その前にテントを張って5人で肩寄せ合って一晩中座っていた。1年後入居した仮設住宅は,冬は大変寒く,夏は格別な暑さの上に虫だらけ。ここで初めて支援物資をもらう。400世帯ほどあったが,自治会長さんがよくできた人だった。この復興住宅に入居12年目。自治会の仕事をしていて,話し好きで,コミュニケーションには困らない。食べていけるだけの年金はあるが,収入の1/3ほどまで家賃が上がることが不安で「家賃を上げないで」と何度も。被災時,水がいちばん不自由だったので,自分がもう少し若かったら,汲みに行けず家にいる人に届けてあげたい。東日本大震災の被災者に「がんばってくださいよ」と。

・70代男性,一人暮らし。灘区で全壊。ポートアイランドの仮設住宅で4年過ごした後この復興住宅に入居して12年目。仮設住宅でもコミュニケーションが足りないと感じていたが,この復興住宅に来てから4人もの孤独死を見た。3度も隣近所と引き離されるなど,市の施策の冷たさを感じるが,初めてのことだったので仕方なかったのかも。今この復興住宅にもかなりの空室があるので,東日本大震災の被災者を受け入れてあげてもいいと思いながらも,神戸の時より待遇がいいのではとも。東日本大震災の被災者にはがんばれとしか言えないのだが,原発は人災ですよね…。

・女性,一人暮らし。中央区で被災。足腰が痛いとのことで,玄関に出てくるのも時間がかかり立っているのも辛そうだったが,話すうちに表情も明るくなっていった。近所付き合いもうまくいかず,睡眠不足や高血圧で倒れたり,脚を捻挫したりして,食欲もなく,必要な通院も十分できず,最寄りのスーパーで買い物するのがやっと。身の回りのこともできなくなってきたが,他人をうちに入れたり,手伝ってもらったりするのに抵抗感が強い様子。初対面のボランティアとしては,傾聴を通じて,信頼関係を築き,抵抗感をやわらげてもらえれば,訪問した甲斐があろう。

・70代女性,80代夫と2人暮らし。中央区で全壊。近くの高校に避難,仮設住宅に4年いた後この復興住宅へ。訪問時ご主人の散髪をしていた。足腰がわるく,右膝は手術の予定。2カ所の病院に通っている。

・80代女性,一人暮らし。灘区で全壊。若い頃は見習い看護婦をしていて,戦中〜戦後は満州に。戦後現地で結婚しともに帰国した夫は,この復興住宅で10年前に亡くなった。現在特に身体に悪いところはなく,ほぼ毎日大安亭にお茶を飲みに通っている。時代の流れに逆らわず生活しているとのこと。

・80代女性,夫婦2人暮らし。中央区で全壊。島根県に5年ほどいた後,3〜5回の抽選で当たってこの復興住宅へ。胃を全摘出していて少量のそうめんしか食べられない。外出も困難なのに地域の役員を12年続けてきた。玄関先のつぼみを膨らませた鉢植えの話題でなごむ。

・40代男性。中央区で全壊。奥さん,不妊治療のおかげでようやっと授かった男女の双子と暮らす。訪問時は,この復興住宅で生まれ育っている子どもの友達が大勢遊びに来ていて賑やかな様子。運送業で夜の仕事だが,休みの前ということでお話し伺いに応じてくださった。被災後被害がなかった垂水区の実家に半年身を寄せてから仮設住宅に移り,この復興住宅へ。今特に困っていることはない。震災時に撮影していたビデオをいとこに貸したらなくされてしまった。子どもに阪神淡路大震災のことを話しても実感がわかないようだ。

*(週末ボランティアでは、4月18日〜20日の間、仙台から花巻の東日本大震災の被災地をまわり、この震災の被災者との接触のなかで、その活動可能性を見て参ります。)


[1689] 新たなサポートのために

記入者:HARA Hideki 最終更新日:2011/04/14 03:25 [WebSite]
(HOST: softbank219002183033.bbtec.net)

毎度「This is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。

弊サイトやMixiコミュニティ,Facebookページ,twitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方とのご縁に深く感謝いたします。

去る3月11日に発生した東日本大震災に被災された方々に,改めてお見舞い申し上げます。犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。

弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアでは、これまでもグループの活動に関する福利資料の収集と保存に努めて参りましたが、かつて避難所や仮設住宅での活動に参加された方に、当時の資料をご提供されたく、改めてお願いしたいと思います。

新たな被災地で、新たに支援活動に参画しようという方々のために、これからの支援に参考にしていただくことで、役立ちと学びのネットワークを広げていきたいと思います。

宜しくお願いします。


あわせてもう一つ。

神戸・週末ボランティアの仮設住宅訪問に参加したメンバーが15年前に結成した、ウェブサイトを通じて被災者やボランティアの交流の輪を作る「かみひこうき」プロジェクトに、東日本大震災の被災者・ボランティアの皆さんも参加してみませんか?

同プロジェクトのウェブサイトは http://hikoki.fc2web.com/ 。


詳細および全文は,新サイト内「2011 神戸・週末ボランティアNews and Reports」をご覧下さい。


[1688] 東日本大震災の被災者へ、阪神・淡路大震災の被災者よりの声(2)

記入者:東條健司 最終更新日:2011/04/11 01:35 [E-mail]
(HOST: p3068-ipad04kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp)

2011年4月9日
お話伺いボランティア
東日本大震災の被災者へ、阪神・淡路大震災の被災者よりの声(2)

 家が住めなかったので親戚の家に行こうと朝出て一日歩いたがダメで、その前でテントを張って5人で肩寄せ合い1晩中座って居ました。他にいったりしていたので物資を頂いたのは仮設に入ってからだ。当時何と言っても水が1番不自由だったので、もう少し若かったら東北の人達に何か届けに行ってあげたい。1件1件回りたい。仮設住宅は冬は寒く、夏は特別暑く虫だらけで気をつけないといけない。震災公営住宅が安いと聞いたのでここに入ったが、最後は収入の1/3にあたるほどの家賃まであがるとか。家賃は1/3までも上げないでください。頑張って下さい、東日本の方々。

    神戸市中央区、全壊、避難所、仮設住宅、今はHAT神戸震災復興住宅
    女69歳、1人暮らし

 神戸の震災では配慮されなかつた地域社会へのコミュニテーが、東日本では生かされると良い。初めてとのこととはいえ、3度も引き離され望んだ場所はあたらず、ここに来て4人も孤独死をみた。今この住宅も大分空いているので受け入れてあげたい。東日本の被災者に頑張って欲しい。政治の支援も必要。予算も一挙にだせ。神戸の経験を生かして。最後まで頑張って欲しい。

    神戸市中央区、全壊、避難所、仮設住宅、今はHAT神戸震災復興住宅
    男77歳、一人暮らし


  “このHAT神戸震災復興住宅の被災者に、どなたか、今の東日本の被災者をご存知の方、応えてあげて下さい。”

東條健司(とうじょう けんじ)
〒654-0012 神戸市須磨区飛松町2-3-18-505
T/F 078-734-6544 携帯090-8121-9709
E-メール ktojo@pearl.ocn.ne.jp


[1687] HAT神戸の倉谷さん、見舞い

記入者:東條健司 最終更新日:2011/04/06 16:47 [E-mail]
(HOST: p3068-ipad04kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp)

HAT神戸の倉谷さんが、リハビリのため、4月中に転院予定です。
今は近くの日本赤十字病院入院中です。4階の病室に入院中です。

倉谷さんは右手が動くだけの不自由な体で、夜中に車いすから落ちて以来病状が悪く、横になったままで居ましたが、この度心臓手術を受ける為に、やや遠くのリハビリ病院にはいり、元の車いす生活にもどるための必死のリハビリに賭けることになりました。

どうかみなさん、倉谷さんを励まして下さい。4月中は日本赤十字病院にいます。4階です。
わたしたちも随分これまで、彼に励まされて来ました。

東條健司(とうじょう けんじ)
〒654-0012 神戸市須磨区飛松町2-3-18-505
T/F 078-734-6544 携帯090-8121-9709
E-メール ktojo@pearl.ocn.ne.jp


[1686] 第526(××84)回訪問活動

記入者:HARA Hideki 最終更新日:2011/04/05 00:21 [WebSite]
(HOST: softbank219002183033.bbtec.net)

毎度「This is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。弊サイトやMixiコミュニティ,Facebookページ,twitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方とのご縁に深く感謝いたします。

去る3月11日に発生した東日本大震災に被災された方々に,改めてお見舞い申し上げます。犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。

今2011年に入ってから,神戸・週末ボランティアの復興住宅訪問活動や行事の参加者数において,事実と異なった記述をしたものが見受けられますが,
・被災者とボランティアによる追悼と考える会(2011/01/08);ボランティアと住民あわせて16名に,報道陣3名を加えた19名
・第524(××82)回訪問活動(2011/02/26);8名,うち初参加1名 (他ミーティング時の来訪者2名)
・第525(××83)回訪問活動(2011/03/12);7名,うち初参加2名
とすべきところです。

そうした中,東日本大震災発生から2度目となった,3月26日の訪問活動は,参加者11もしくは12名,うち初参加2名と,久しぶりに2桁の実質参加者を数えることとなりました。昨秋来,定着してきたところの,弊サイトやMixiコミュニティ,twitter - welove_kobeを通じて新たな参加者を迎えてきたのに続き,今回,神戸市社会福祉協議会のボランティア情報サイトを通じての初参加者をむかえました。

訪問活動では,新たな被災者へのメッセージという形でお話を伺わせてくださったところもありますが,前回ほどではなかったものの,依然として,東日本大震災のため阪神淡路大震災について語ることを躊躇する向きも見られることには違いなく,今後,これまでと同じような形で復興住宅への訪問活動を続けてゆくことについて,いっそうの慎重さと再考が求められるものであったことを,引き続き認識せざるを得ないでしょう。

関西圏,阪神淡路大震災の被災地においても,東北大震災の被災者の受入が行われていますが,その一方で,これまでの被災者や,長引く不況の中で困窮してきた人たちが,切り捨てられたり,さらなる辛苦を強要されたり,あるいはこうした様々な難儀した市民が対立・相克させられたりすることのないよう,その立場に寄り添い,共に在ることはもちろん,行政監視といった役割も一層求められると言わねばならないでしょう。

訪問活動後,平素から活動に協力いただいている倉谷さんの入院先を訪ね,初参加者を含めた有志でお見舞いしてきました。快復とリハビリが順調となることをお祈りしたいと思います。

終了ミーティングにおいて,毎回の訪問活動にあたって「」としていることに鑑み,グループとしては募金活動や,物資・寄付の要請に従事しないこと,「東日本大震災用のカンパは100%上納として、必ず責任を持って納めます」としたものは削除することを確認しました。

毎度レポートがたいへん遅くなり申し訳ありません。
詳細および全文は,新サイト内「2011 神戸・週末ボランティアNews and Reports」をご覧下さい。


[1685] 第527回、阪神・淡路大震災 傾聴ボランティアの募集

記入者:東條健司 最終更新日:2011/04/04 22:45 [E-mail]
(HOST: p3068-ipad04kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp)

東日本大震災の未曾有の規模と、津波と原発の被害を思うと胸がつぶれます。
 しかし週末ボランティアは、阪神・淡路の被災者がこの地震を自らの体験と合わせてどのような思いを持っているかを直接聴く中で、その心を共有して行きたいと思います。
 
第527回、阪神・淡路大震災
傾聴ボランティアの募集

日時:2011年4月9日(土)午後1時〜7時
(訪問だけは5時に終了いたします)

集合場所、時間:「神戸市勤労会館」三宮から徒歩5分
・午後1時に702号室にご集合下さい。

訪問先:神戸市中央区、HAT神戸・脇の浜住宅

ご連絡は電話078-734-6544、携帯090-8121-9709週末ボランティア代表:東條健司


前回の訪問は新人2名を含む参加者12名でした。

・60代、男性、妻と二人暮らし。中央区で被災。全壊。震災の時は山の方へと逃げた。視覚障害、ここに13年住んでいるが、知り合いが出来ないので詰らないという。ここでは“インターホン会話”だけだ。福祉に関するお金を貰えても安心できない。年金が減らされて生活が苦しい。仮設はポーアイ。仮設住宅での生活は良いものではない。なぜなら周りに仲間が居ないから。周りの人はどっから来ている人なのか分らない。挨拶もない。行政からの見回りもない。昔は田んぼの手伝いを良くしていたのだが。子供は3人、すでに結婚している。妻は今仕事。避難生活で欲しかったものは?着るもの、お金、食料(缶詰)との事。東海地震はもうすぐ来る。神戸は復興まで12,3年かかった。東北は20年以上かかるだろう。東日本大震災は同じ震災を経験した者として胸が苦しい。頑張って下さいと神戸からエールをおくる。段々と話すうちに元気が出てきて、終わりは私たちと固い握手を交わした。

・80代、女性、夫と二人暮らし。中央区で被災。半壊。避難所は一杯、食料の配給は来なかつた。お握りばっかり食べていた。水、電気、ガスはストップ。近くに井戸があってトイレはそれを使った。近くに蛇口5ヶ出来たのでバケツで汲みにいった。1ヶ月で電気復旧、2カ月で水・ガス復旧。ガスが通じてもお風呂が壊れていたので銭湯にいった。この震災で退職した。4月に家賃が上がる。あと2回上がり、最終的に3万位になる。
神戸で、空襲・水害・震災を全部経験した。その中で空襲が一番怖く辛かった。今回の東北の状況を見て、神戸での震災は「まだましだ」と感じる。17年前のあの年だから乗り切れた。津波は神戸の水害を思い出す。被災者どうしで励ましあおう。東北の復活を願ってやみません、とのメッセイジを頂いた。

以上


[1684] 3/26初参加者の感想

記入者:矢萩千治 最終更新日:2011/03/27 21:56
(HOST: cb8ac9-109.dynamic.tiki.ne.jp)

★M.Tさん:Nさんから約1時間、貴重なお話をたくさん聞くことができた。今回の東日本大震災について、Nさんは規模こそ違え、同じ大震災を経験している者として、胸が痛いという旨の話を聞いた。Nさんは阪神大震災後の生活について、仲間がいなくてこんな所に住みたくないし、近所同士での挨拶もないとおっしゃっていた。このことは考えるべきである。今回の収穫は、何と言ってもNさんの態度が最初と最後で一変したことである。最初は僕達の話を聞こうとしなかったが、徐々に心を開いて頂き、仲良くなった。東日本大震災の被災者の人達にもエールを送ってもらい、握手もして頂いた。


[1683] 東日本大震災の被災者へ、阪神・淡路大震災の被災者よりの声(1)

記入者:東條健司 最終更新日:2011/03/27 00:39 [E-mail]
(HOST: p3068-ipad04kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp)

2011年3月26日
お話伺いボランティア


・ 東日本大震災は同じ震災を経験した者として胸が苦しい。
神戸は復興までに12、3年かかった。東北は20年以上掛るかも知れません。
何と言って良いかわからない。
私は震災前から白い杖をついて目が不自由だった。つれあいと逃げたがやっぱり山の方へにげた。これから始まる困難にめげず、力一杯に生き抜きましょう。
  
中央区、全壊、避難所から、ポーアイ仮設から、今はHAT神戸震災復興住宅、
男68歳、妻1人。

・ 神戸で水害、空襲、震災を経験した。その中で空襲が1番怖く辛かった。
今回の東北の状況をみて、神戸での震災は「まだましだ」と感じる。
阪神でも水・電気・ガスがとまり、電気は1ヶ月、水・ガスは2カ月で復旧した。東北はどの位かかるだろう。食品の配給は来なかった。お握りばっかり食べていた。17年のあの年だから乗り切れた。東北はどうだろう。
 津波は神戸の水害を思い出す。被災者どうしで励ましあおう。東北の復活を願ってやみません。

  中央区、マンション半壊、今はHAT神戸震災復興住宅、
  女80歳、夫1人。


  (このHAT神戸震災復興住宅の被災者に、どなたか、今の東日本の被災者をご存知の方、応えてあげて下さい。)


[1682] 第525(××83)回訪問活動

記入者:HARA Hideki 最終更新日:2011/03/21 23:38 [WebSite]
(HOST: softbank219002183033.bbtec.net)

毎度「This is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。弊サイトやMixiコミュニティ,Facebookページ,twitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方とのご縁に深く感謝いたします。

去る3月11日に発生した東日本大震災に被災された方々にお見舞い申し上げます。犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。

こうしたなかで,今後,これまでと同じような形で復興住宅への訪問活動を続けてゆくこと自体について,再考が求められるものであったことを,認識せざるを得ないでしょう。

毎度レポートがたいへん遅くなり申し訳ありません。
詳細および全文は,新サイト内「2011 神戸・週末ボランティアNews and Reports」をご覧下さい。


[1681] 東日本大震災と週ボラの活動

記入者:東條健司 最終更新日:2011/03/21 22:13 [E-mail]
(HOST: p3068-ipad04kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp)

東日本大震災の未曾有の規模と、多くの被災者と亡くなった方々と未だ行方不明の方々の事を思うと胸がつぶれます。
 しかし週末ボランティアはこの元の被災者宅を回り、阪神・淡路の被災者がこの地震にどのような思いを持っているかを直接聴く中で、その思いを共有して行きたいと思います。
 
なお東日本大震災用のカンパは100%上納として、必ず責任を持って納めます。

第526回、阪神・淡路大震災 傾聴ボランティアの募集

日時:2011年3月26日(土)午後1時〜7時
(訪問だけは5時に終了いたします)

集合場所、時間:「神戸市勤労会館」三宮から徒歩5分
・午後1時に408号室にご集合下さい。

訪問先:神戸市中央区、HAT神戸・脇の浜住宅

ご連絡は電話078-734-6544、携帯090-8121-9709の週末ボランティアの代表東條健司

郵便振替 01120-1-88125週末ボランティア

前回の訪問は参加者10名でした。

・80代男性,一人暮らし。中央区で全壊。ポートアイランドの仮設住宅で3年間過ごしたあと,この復興住宅へ。交通事故で妻を亡くしてから50年間一人暮らしなので慣れている。この4月からまた家賃が上がるので,今後が少し心配。脚に痛みがあり風呂に入るのが大変。交通費が面倒なものの,病院へは一人で行けるので,今のところはまだ幸せな方。

・80代女性。須磨区で全焼。自分は外へ避難できて無事だったが,地震後間もなく家はきれいに焼けてしまった。

・90代男性,一人暮らし。東灘区で全壊。ポートアイランドの仮設住宅を経てこの復興住宅へ。家賃が上がっていくのが困る。中国南部〜台湾に兵隊に行ったこともあり,戦後神戸に来て若い頃から長く配管工をしていた。病気は特にしたことがない。脚がやや不自由で,時間をかけて出てこられ,棒に掴まりながら玄関口でお話し伺いに応じてくださった。何度も危ない目に遭っているが,外出には自転車をよく使う。8万円もした補聴器のボリュームを上げて使っていて,時々ビーッという雑音が。部屋はかなり綺麗にしている様子。普段話し相手がほとんどなく「早く死にたい」と思うこともあるが,時折近所の人が話しに来てくれる。

・70代女性,50代男性。インターホン越しに女性の声がしてからしばらくして男性がドアを開け「母は今トイレに…」とのことだったが,安否確認程度のお話を伺う。

以上


[1680] TASUKI PROJECT

記入者:HARA Hideki 最終更新日:2011/03/20 02:54 [WebSite]
(HOST: softbank219002183033.bbtec.net)

毎度ご覧下さいましてありがとうございます。

ウェブサイト・mixiコミュニティThis is 神戸・週末ボランティアでは、標記プロジェクトを紹介しています。

関西の方、よろしくお願いします。

詳細および全文は,新サイト This is 神戸・週末ボランティア 内「2011 神戸・週末ボランティアNews and Reports」をご覧下さい。


[1679] 田山さん

記入者:東條健司 最終更新日:2011/03/19 21:55 [E-mail]
(HOST: p3068-ipad04kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp)

了解。

ホームページを見てみます。
またお願いします。

東條健司


[1678] 茨城県・現状

記入者:田山 敏行 最終更新日:2011/03/19 19:35
(HOST: p4149-ipbf1405akatuka.ibaraki.ocn.ne.jp)

避難所165箇所 断水26万世帯(県の4分の1) 交通網・水戸を走るJRは復旧まで数か月かかる 高速 水戸以北は復旧の見込み不明 福島第一原発から100キロ圏内 福島県の方、及び県民も他県へ避難する方が増えています ガソリン不足で、GS付近は大渋滞
詳しくは、茨城新聞社HPをご覧ください(http://www.ibaraki-np.co.jp) 報道が少なく現状がなかなか伝わらないのですが、まだまだ厳しい状況です。またお知らせいたします。


[1677] 無事ですか?

記入者:東條健司 最終更新日:2011/03/18 23:39 [E-mail]
(HOST: p3068-ipad04kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp)

田山敏行さん
ご無事ですか?

1週間後に初めて入りました情報です。
茨城はどんな様子ですか?

あまりの状況に胸も潰れるばかりです。
死者19、不明1、負傷640と聞いてますが。

そちらの様子を詳しく教えてください。

週ボラは17年目の神戸を守っていく心算です。
あまりの大きさに呆然としています。


[1676] 東北関東大震災

記入者:田山 敏行 最終更新日:2011/03/18 21:29 [E-mail]
(HOST: p1053-ipbf303akatuka.ibaraki.ocn.ne.jp)

平成7年〜10年頃、縁あって週ボラに参加させていただいた茨城県在住の田山です。今回の大地震、私の地元・茨城も甚大な被害を受け、現在に至っています。ライフラインの確立、物資の供給など難題山積みですが、神戸での被災者の方の逞しさを思い出しながらこの難局乗り越えて行きたいと思います。また、再会できる日を楽しみにしております。東條様はじめ皆様もどうかお元気で。


[1675] 3/12初参加者の感想

記入者:矢萩千治 最終更新日:2011/03/18 07:48
(HOST: p2036-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp)

☆M.Hさん:ボランティア活動が初めてだったので、勉強になりました。様々な方がいらっしゃるので、その人達に合わせて活動をしていく事の大切さを学びました。あやしい人達だと思われない様に気を遣わなければならない事も学びました。

☆I.Tさん:昨日の東北での大地震の影響もあって、やはり心理面で話をしたくないと感じた方が、少なからずいらっしゃったのではないかと、訪問しながら感じました。これからこのような活動を続けていくのは、色々大変な面もあると思いますが、続けていくことが大切なのだと感じます。


[1674] 第524(××82)回訪問活動

記入者:HARA Hideki 最終更新日:2011/03/08 02:47 [WebSite]
(HOST: softbank219002183033.bbtec.net)

毎度「This is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。弊サイトやMIxiコミュニティ,twitterを通じて,交流させていただいております皆様方の見識やセンスの高さに脱帽することしきりで,また励みにさせていただいているところです。

また,平素の訪問活動においても,昨年以来,「神戸新聞」とあわせて,弊サイトやMIxiコミュニティを通じて参加される方が続いていることは喜ばしい限りです。そうした役立ち学ぶ心温まる方々とともに担う訪問活動は,ボランティア参加者にとどまらず,訪問先の方々にも,好感と安心感をもってむかえられていることを,感謝の心をもって報告したいと思います。

毎度レポートがたいへん遅くなり申し訳ありません。
詳細および全文は,新サイト内「2011 神戸・週末ボランティアNews and Reports」をご覧下さい。


[1673] 第525回、阪神・淡路大震災 傾聴ボランティアの募集

記入者:東條健司 最終更新日:2011/03/07 00:31 [E-mail]
(HOST: p3068-ipad04kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp)

「1回だけでも、初めてでも」のボランティア活動は――いか
が?

第525回、阪神・淡路大震災
傾聴ボランティアの募集

日時:2011年3月12日(土)午後1時〜7時
(訪問だけは5時に終了いたします)

集合場所、時間:「神戸市勤労会館」三宮から徒歩5分
・午後1時に702号室にご集合下さい。

訪問先:神戸市中央区、HAT神戸・脇の浜住宅

ご連絡は電話734-6544、携帯090-8121-9709の週末ボランティアの東條健司

前回は参加者10名でした。

・70代男性,一人暮らし。東灘区で全壊。1階の店舗では商品の自動車部品が散乱,2階にいた自分は何とか脱出したが「何もかもなくなった,グシャグシャ」。避難所に行ったら,仕切っている人が支援物資を公平に分配せず,その人間性に不信を覚えた。国道沿いだったので,食糧や支援物資を分けてもらうなど,通る人に助けられた。風呂屋がくみ上げている井戸から水をもらった。周囲で生き埋めになった人が多かったが,心臓が当時から悪く,助けてあげることができなかった。被災当時も一人暮らしで高齢者でもなかったため優先されず,この復興住宅に入るまで11回申し込んだ。ボランティア参加者みなでお部屋に上げていただいて,2時間にわたるお話し伺い。

・90代女性,一人暮らし。中央区で被災。震災の前年にご主人を亡くした。震災時まで中央区で一杯飲み屋をしていた。息子の嫁や孫が時々訪ねてきてくれ,この復興住宅の申し込みも嫁がしてくれた。食事は1日1〜2回来てくれるヘルパーさんにしてもらっている。月に1回往診を受けている。寒いからと,玄関の中に入れていただいてのお話し伺いに。

・80代女性,弟と2人暮らし。灘区で全壊。近くの小学校に避難したが,情報が入ってこないので高校の避難所へ。ポートアイランドの仮設住宅ではネズミがたいへんだった。この復興住宅へは同じ仮設住宅で過ごした人も一緒だったが,一人一人減っているので寂しい。

・70代,一人暮らし。中央区で全壊。地震の時は仕事に行っていた。近くの中学に避難した後仮設住宅で4年4ヶ月過ごし,この復興住宅へ。転倒して鎖骨を折っている。

・50代女性,夫と2人暮らし。灘区で被災。一旦尼崎に家を借りたが,灘区内の仮設住宅で長く過ごした後この復興住宅へ。震災時軽いケガで済んだと思ったが脊髄圧迫と解り,松葉杖1本が必要に。仮設住宅で知り合った今の夫と知り合ってからは,うまくいっている。つえをつかれてとてもさばさばとした笑い声をあげ、明るい人でした。

・60代女性,夫と2人暮らし。長田区で全壊。灘区の実家は水道関係の仕事をしていて,商売道具が,すぐ後ろにまで迫っていた火を防いだり,近くの川から生活用水を確保するなどで役立った。灘区で家を借りたが,近隣の酒造工場の熱気で暑く間もなく引っ越し,この復興住宅へは早くに入居。夫は糖尿病で入退院を繰り返し,訪問時は人工透析から帰ってきて寝ていた。

・男性。風邪とのことで,安否確認程度の短時間のお話し伺いに。

・70代夫婦2人暮らし。中央区で被災。尼崎に避難した後この復興住宅へ。仮設住宅にはあたらなかった。2人の年金で暮らす。風呂の据え付けの仕事をしていたご主人は,震災後忙しさのあまり脳梗塞を患う。毎日笑顔でいたいという奥さんはカラオケ好きで,本やテレビで覚えた運動をしたりしている。                                  以上


[1672] 第523(××81)回訪問活動

記入者:HARA Hideki 最終更新日:2011/02/23 20:28 [WebSite]
(HOST: softbank219002183033.bbtec.net)

「神戸・週末ボランティア」の訪問活動が通算500回をむかえたのは,ほぼ1年前の2010年2月13日でした。爾来1年間,「神戸新聞」や弊サイト,さらには附設したMixiコミュニティを通じて,新たに参加されたメンバーの協力のもと,被災者−住民の方からの期待と信頼がいっそう寄せられ,グループとしての役立ち学ぶ気風もさらなるものになっています。

毎度レポートがたいへん遅くなり申し訳ありません。
詳細および全文は,新サイト内「2011 神戸・週末ボランティアNews and Reports」 [2]をご覧下さい。googleやYahoo!で検索してください。


[1671] 第524回、阪神・淡路大震災 傾聴ボランティアの募集

記入者:東條健司 最終更新日:2011/02/23 08:53 [E-mail]
(HOST: p3068-ipad04kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp)

「1回だけでも、初めてでも」のボランティア活動は――いかが?

第524回、阪神・淡路大震災
傾聴ボランティアの募集

日時:2011年2月26日(土)午後1時〜7時
(訪問だけは5時に終了いたします)

集合場所、時間:「神戸市勤労会館」三宮から徒歩5分
・午後1時に2階「和室2」にご集合下さい。

訪問先:神戸市中央区、HAT神戸・脇の浜住宅

ご連絡は電話734-6544、ケイタイ090-8121-9709の週末ボランティアの東條健司
(又は東部連絡所242-0897倉谷宅に連絡)まで

前回は参加者8名でした。

・70代女性,一人暮らし。中央区で半壊。震災時から一人暮らし。ケガもなく助かった。この復興住宅へ入居して10年以上で,近隣とのコミュニケーションに努め,玄関前の通路でよく話しているが,それを向かいの棟の住民から覗かれているように思われると苦情を言われたこともある。1年半ほど前に近所の方が飛び降り自殺したときのことを話してくれた。

・60代女性,一人暮らし。中央区で半壊。身体が不自由であまり働くことができず,住居の確保に難儀した。この復興住宅に入居して3年目。年金は増えないのに家賃が上がってのが不安。ガスはいっさい使用しない。私たちの訪問を,早くから玄関前に出て待っていてくださった。

・80代女性,一人暮らし。返事がして、しばらくしてドアが開き、「字も読めず、話すこともないが」と言われたが、「お話を伺いたいのですが」と言うと、家に上げてもらい、お話を伺った。中央区で半壊。地震の時,猫が知らせてくれたのか,布団をかぶったところ揺れがきて,戸棚が倒れてきたが助かった。避難所に入らず,一時身を寄せた身内の家も居心地悪く,程なく半壊のアパートに戻る。しかし福祉の人もそのアパートは湿気で「体がわやになる」といわれてやっと3年前この復興住宅に入居するようになった。今でも毎日そこの2匹の猫に餌をやりにそのアパートに通う。これが良い運動になる。雨のにも風の日も休んだ事が無い。胃を手術して3分の2とっている。ここに越してくるとき、箪笥やみずや、大きな冷蔵庫などみな捨てた。本当に生活上必要最低限の物しかなく、ひっそりとした生活ぶりだった。今は2合炊いて食べている。健康だ。別に悪いとこはない。暖房もいれずに厚着をして頑張っておられ、元気のいいお母さんに、何時までもそのままでと願ってお別れをした。

・70代男性,一人暮らし。中央区で半壊。経営していた店も被災したが,半壊の家に何とか住んだ。当たった仮設住宅(北区)があまりにも寒く住めなかった。この復興住宅に入居して10年以上だが,仲間を募って一人暮らしの高齢者を訪ねたり,近くの中学生に非常用水の使い方を教えたり,また遠方の中高生と被災者とが交流を持つ仲介をしたりといった活動をしている。
                                  以上


[1670] 第522(××80)回訪問活動

記入者:HARA Hideki 最終更新日:2011/02/08 00:04 [WebSite]
(HOST: softbank219002183033.bbtec.net)

2011年の神戸・週末ボランティア News and Reportsは,記事がないまま1月が終わってしまいました。その間に「1.17」はもちろん,節分〜立春,あわせて春節も過ぎてしまいました。弊サイトをご覧の皆さんは,被災地・被災者に心を寄せ共に歩もうという気概のもと,それぞれ有意義な過ごし方をされたことと思います。

毎度レポートがたいへん遅くなり申し訳ありません。
詳細および全文は,新サイト内「2011 神戸・週末ボランティアNews and Reports」 [1]をご覧下さい。googleやYahoo!で検索してください。


[1669] 第523回、阪神・淡路大震災 傾聴ボランティアの募集

記入者:東條健司 最終更新日:2011/02/06 22:47 [E-mail]
(HOST: p3068-ipad04kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp)

「1回だけでも、初めてでも」のボランティア活動は――いかが?

第523回、阪神・淡路大震災

傾聴ボランティアの募集

日時:2011年2月12日(土)午後1時〜7時
(訪問だけは5時に終了いたします)

集合場所、時間:「神戸市勤労会館」三宮から徒歩5分
・午後1時に7階「702会議室」にご集合下さい。

訪問先:神戸市中央区、HAT神戸・脇の浜住宅

ご連絡は電話734-6544、ケイタイ090-8121-9709の週末ボランティアの東條健司
(又は東部連絡所242-0897倉谷宅に連絡)まで


前回は参加者7名でした。


・90代女性,中央区で半壊。震災前にご主人を亡くし一人暮らし。この復興住宅へは10年前の申し込みで入居。ヘルパーさんを頼もうと思っていたが人に気を遣うより一人の方が気楽。家賃がまた上がって生活も苦しく、化粧品も買えないとボヤいていた。背筋も伸びてしっかりした様子で,若い頃の仕事の話しをされた。息子さんが2日に1度訪ねてきてくれるので何も心配はない。この日もそれに備えて冷蔵庫にケーキを入れていた。腹部に病気があるが,薬で済ませている。今日もその帰りだ。お部屋にあげていただいて40分にわたってお話しを伺ったが,訪問当日がちょうど誕生日だったので,最後にハッピーバースデーを歌ってお祝いした。こんな風な出会いと歌も、また初めてであった。

以上


[1668] 第522回、阪神・淡路大震災 傾聴ボランティアの募集

記入者:東條健司 最終更新日:2011/01/16 00:08 [E-mail]
(HOST: p2085-ipad208kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp)

みなさん!「1回だけでも 初めてでも」のボランティアをどうぞ!

第522回、阪神・淡路大震災 傾聴ボランティアの募集

日時:2011年1月22日(土)午後1時〜7時
(訪問だけは5時に終了いたします。終了ミーテイングは7時まで。)

集合場所、時間:「神戸市勤労会館」三宮から徒歩5分
・午後1時に7階「702会議室」にご集合下さい。

訪問先:神戸市中央区、HAT神戸・脇の浜住宅
ご連絡は電話734-6544、ケイタイ090-8121-9709の週末ボランティアの東條健司
(又は東部連絡所242-0897倉谷宅に連絡)

前回は新人1名を含めて参加者9名でした。

・70代男性,1人暮らし。中央区で全壊。初めは何が起きたのかわからなかったが、テレビが飛び始め、初めて地震だと気づいた。真っ暗な中、表に飛び出すと、通りの家々の2階が、積み木崩しのように前に倒れ込んで、1階だけが残っている有様でした。その頃は丈夫でしたので人助けに走って、何時も押し入れで寝ている人を助けたり、避難所はテントを張って、近くの倒れた家から煙が出ているのを消火器で消し止めたりしました。2ヶ月してから新築のマンションに入居,7万のうち4万の家賃補助があったので助かった。
 その後、高いところから落ちたせいで、ここに入ってから、身体の故障が相次いで見つかり,大腸ガンの手術は成功したものの,腰の手術の結果はいまだに非常に痛いと訴える。そのせいで長い事座って居られない。この不自由な体で私たちを迎え入れてくれた事に深く感謝して、お礼をして家を出た。

・70代女性,2人暮らし。灘区で被災。被災後1週間は近くの高校に避難したが,あと岡山県に移ったため,申し込んでもなかなか当たらず,この復興住宅に入居して8年。目と足が不自由で,毎日必死で生活している。頭がフラフラするので,おせちは百貨店のものを買うつもり。めまいがして救急車で搬送されたことも。ケースワーカー週2回が廻ってくる。最近2度自転車事故に遭ったが,それでも自転車を歩行器やショッピングカート代わりに使っている。ここは段差がなく歩きやすく,あちこちに呼び出しベルがあるので良いとおっしゃつていました。

・90代女性,長田区で全壊。息子さん(60代)と2人暮らし。息子さんは今も働いている。自身も女性で賃金が安かったからと,50〜70歳まで土建屋で働いた。神戸で生まれ育ち,大阪の女学校ではスポーツが得意。百貨店に勤めたあと,神戸に戻って劇場勤務に。戦時色が強まる頃で,スターに会う楽しみはなくなり,最後にはニュース映画だけに。夫の故郷・熊本へ子どもと疎開,戦後神戸に戻り,倉庫や焼け跡に住み,間借り生活になっても炊事は台所を使えず外でした。今は目が悪くテレビも見ない。10年前膝関節を手術したが,足も悪くあまり外出しなくなった。週1回のショートケアが楽しみ。隣近所ともめったにしゃべらへんから、嬉しかったと喜んでくれた。訪問者も、ご高齢者の方とお話ができ、大震災だけでなく戦後の話もお伺い出来、大変貴重な話をして頂いた。

・90代女性,1人暮らし。中央区で全壊。震災では家族全員無事だったが,戦争のときの神戸大空襲や学童疎開,避難所生活などのたいへんさも想い出される。10年前にご主人を亡くした。かつて30年にわたり神社の奉仕に出ていたが,今は足が悪く,掃除が出来ず,買い物も手押し車を押していく。週2回ヘルパーが来てくれている。子どもさんが時折弁当をもってきてくれるのがうれしい。田舎育ちで身体を使って働くのが大好きで,持病もないとのことで,年齢にあわず元気。持病が無い人は元気なのだと痛感しました。

以上  

東條健司(とうじょう けんじ)
〒654-0012 神戸市須磨区飛松町2-3-18-505
T/F 078-734-6544 携帯090-8121-9709
E-メール ktojo@pearl.ocn.ne.jp


[1667] 「追悼と考える会」報告記事

記入者:HARA Hideki 最終更新日:2011/01/15 01:43 [WebSite]
(HOST: softbank219002183033.bbtec.net)

ウェブサイト This is 神戸・週末ボランティア では
新世紀の「週末ボランティア」行事・イベント篇・3 に
被災者とボランティアによる追悼と考える会 (2011.1.8) 
を掲載しました。
googleやYahoo!で検索してください。


[1666] 第521(××79)回訪問活動

記入者:HARA Hideki 最終更新日:2010/12/31 22:19 [WebSite]
(HOST: softbank219002183033.bbtec.net)

毎度レポートがたいへん遅くなり申し訳ありません。
詳細および全文は,新サイト内「2010 神戸・週末ボランティアNews and Reports」 [24]をご覧下さい。googleやYahoo!で検索してください。
新たな年を,被災地・被災者と共に歩みましょう。
では皆さんよいお年をお迎えください。


[1665] 被災者とボランティアによる追悼と考える会

記入者:東條健司 最終更新日:2010/12/31 17:54 [E-mail]
(HOST: p6094-ipad28kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp)

週末ボランティア

被災者とボランティアによる追悼と考える会

2011年1月8日(土)午後2時半〜5時

場所:神戸市中央区脇浜町HAT神戸脇の浜
    8番館108号室 倉谷さん宅

阪神・淡路大震災の被災者とボランティア達が、膝つきあわせて
話し合う会。 どなたでもおいでください.
―――――――――――――――――――――――――――

上記の会を行います。

普段中々忙しくて、週末ボランティアの傾聴ボランティアにおいでになれない方に、年に一度のお誘いを致します。

上のHAT神戸脇の浜の8番館108号室の倉谷さんの家においで下さい。8日の2時30分から始まります。

一緒に行かれる方は午後1時半にいつもの「神戸市勤労会館」の前庭に集まって下さい。そこからHAT神戸脇の浜へ出発します。

手ぶら平服でおいで下さい。被災者の方の声と今の話を、ボランティアの現在の認識と照らして、思う存分話し合おうでは有りませんか。

事前の連絡は必要ではありませんが、お問い合わせは週末ボランティアの東條健司(電話078-734-6544 携帯090-8121-9709)または東部連絡所の倉谷志之武(電話 078-242-0897)まで。 

週末ボランティア

東條健司(とうじょう けんじ)
〒654-0012 神戸市須磨区飛松町2-3-18-505
T/F 078-734-6544 携帯090-8121-9709
E-メール ktojo@pearl.ocn.ne.jp


[1664] 12/25参加者の感想

記入者:矢萩千治 最終更新日:2010/12/29 22:08
(HOST: cb8a76-206.dynamic.tiki.ne.jp)

★K.Nさん:ボランティアは老人に向けられることが多いが、最近は熟年離婚が多くなり、男性は仕事があるからいいけれど、仕事にも行けない年齢の女性は、ひとり暮らしで3日も4日も誰とも口を開かないという現実がある。そういう年齢層の話し相手も考えて欲しい。

★N.Kさん:お留守にされている方やお話伺いを拒否された方が多かったぶん、お話を伺えるのは貴重なことだと思いました。また、お子さんとの交流があること、ユーモアがあること、高齢であっても粗食が若々しくいられる秘訣だと感じた。


[1663] 毎度ご覧くださいましてありがとうございます。

記入者:HARA Hideki 最終更新日:2010/12/20 20:23 [WebSite]
(HOST: softbank126101169048.bbtec.net)

このたび「This is 神戸・週末ボランティア」では、附設のtwitterについて、アカウントの趣旨及び公序良俗にふさわしくないと思われるフォローをお断りさせていただきました。あしからずご了承ください。

なお、このたびお断りさせていただいたなかでも、当方と趣旨が異なる、従前の「週末ボランティア掲示板」や同所で紹介されているメーリングリストにおいて受け容れられることもあろうかと思われますので、それらをご利用くださればと思います。

これからも神戸の街を楽しく、人々を元気にする、さまざまな話題について語り合いましょう。よろしくお願いします。


[1662] 第520(××78)回訪問活動

記入者:HARA Hideki 最終更新日:2010/12/19 02:13 [WebSite]
(HOST: softbank219002183033.bbtec.net)

ウェブ上でのレポートがたいへん遅くなり申し訳ありません。

詳細および全文は,新サイト内「2010 神戸・週末ボランティアNews and Reports」 [22]をご覧下さい。googleやYahoo!で検索してください


[1661] 第521回、阪神・淡路大震災 傾聴ボランティアの募集

記入者:東條健司 最終更新日:2010/12/18 22:56 [E-mail]
(HOST: p6094-ipad28kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp)

第521回、阪神・淡路大震災
傾聴ボランティアの募集

日時:2010年12月25日(土)午後1時〜7時
(訪問だけは5時に終了いたします)

集合場所、時間:「神戸市勤労会館」三宮から徒歩5分
・午後1時に7階「702会議室」にご集合下さい。

訪問先:神戸市中央区、HAT神戸・脇の浜住宅

ご連絡は電話734-6544、ケイタイ090-8121-9709の週末ボランティアの東條健司
(又は東部連絡所242-08978倉谷宅に連絡)

前回は新しい人1名を含めて参加者9名でした。

・60代男性,一人暮らし。中央区で被災。被災後も同じところに住んでいたが,やがて同区内の知人宅へ。そこに居続けることが困難となったため公営住宅入居を申し込み,5〜6回申し込んで,3〜4年前に,やっとこの復興住宅へ。5級の障碍者なので障碍者枠での入居とのこと。

・80代女性,一人暮らし。灘区で全壊。被災時はケガもなく元気だった。北区でご主人(2年前に亡くなった)・息子さんと暮らし,5年前にこの復興住宅へ入居。家賃減免を受けている。訪問時は来訪してきた友人との麻雀の真っ最中だったため,お話し伺いは短時間で切り上げた。

・とくに困ったことはない。震災当時は大阪に住んでいたので被災者として入居したのではないといったことを,インターホン越しにお話し伺い。声の様子ではお元気そうな印象。

・70代女性。足が悪く出てこられないとのことで,インターホン越しにお話し伺い。

・訪問時お留守だったが「本日急用が出来ましたので…」と書かれたメモがドアポストに。
                                   以上

★週ボラホームページお手伝い募集

週末ボランティアでは、毎回の活動のご案内や、その活動の記録をホームページに載せています。ホームページの作成をお手伝いしてくださる方を募集しています。voice@weekend-kobe.jp までご一報ください。

週末ボランティアホームページ http://www.weekend-kobe.jp/
携帯版ホームページにも活動予定を載せています。


★週ボラCafeメーリングリストへのお誘い

週末ボランティアでは、毎回の活動のお知らせや、メンバー同士で自由なお話ができるメーリングリストを開設しております。「お茶でも飲みながら気軽にトークを」という思いを込めてCafeメーリングリストと名付けています。

加入ご希望の方は、voice@weekend-kobe.jp までお名前と登録ご希望のメールアドレスをご一報ください。


[1660] 第519(××77)回訪問活動

記入者:HARA Hideki 最終更新日:2010/12/07 03:25 [WebSite]
(HOST: softbank219002183033.bbtec.net)

ウェブ上でのレポートがたいへん遅くなり申し訳ありません。

詳細および全文は,新サイト内「2010 神戸・週末ボランティアNews and Reports」 [21]をご覧下さい。googleやYahoo!で検索してください


[1659] 第520回、阪神・淡路大震災 傾聴ボランティアの募集

記入者:東條健司 最終更新日:2010/12/06 00:34 [E-mail]
(HOST: p3002-ipad209kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp)

第520回、阪神・淡路大震災
傾聴ボランティアの募集

日時:2010年12月11日(土)午後1時〜7時
(訪問だけは5時に終了いたします)

集合場所、時間:「神戸市勤労会館」三宮から徒歩5分
・午後1時に7階「702会議室」にご集合下さい。

訪問先:神戸市中央区、HAT神戸・脇の浜住宅

(ご連絡は電話734-6544、ケイタイ090-8121-9709の週末ボランティアの東條健司)

前回は新しい人2名を含めて参加者8名でした。

・70代男性、長田区で被災、全焼。一番腹が立つのは焼けてすっきりしてよかったね、と言われること。避難所は行かず、仮設に当たるまで子どもの家と親戚の家を回って、6年前に入居してきた。奥様がパートで働いているが、年がいっているのであまり収入がない。どちらかが亡くなった時、家賃が高くて・・・と言われていた。家賃は10万円払っているから引っ越したいと思っているが、今さら越すことも考えたくない。
ご主人は病気療養中。とても元気そうだがよく聞いてみると、白血病の一歩手前で血小板がすごく少ないそうだ。初めのうちは大阪からいろいろな人が来たが、今はもう来なくて、近所のコミュニケーションがないのが淋しい。それと友人が次々と年に一人くらいいなくなっていることも原因だ。今さら子ども達とか若い人達とは暮らしたくない。だから、他の人にも最初から一緒に暮らせと言っている。昔は兵庫の奥で百姓をしていて、60圓良兇鯲昭蠅濃ったこともありますが昔のことです、と苦笑されていた。
「西のほうから東のほうに来て知り合いもいない。老人会でもあればと思います」とシートに書かれていた。
 
・70代女性、東灘区で被災、全焼。自分のいた2階は無事で、下の一階の方は母娘が亡くなりました。近くの小学校に避難していましたが、ガスの臭いがしたので出ました。
本人は姉のすむ所まで歩いて行かれ、仮設が当たるまでいました。六甲アイランドの仮設では市から立ち退かされるまでいました。ここに来て11年になります。今はまだ借上げのことを言われませんが、9年先の事をくよくよしても仕方がないと開き直って生きています。今は70才半ばですが、神戸に来るまでは姫路にいました。一人暮らしで、主人は震災前には亡くなっていました。昔の福原がなつかしい、と遠い目をその時されました。仮設での友人が一番多くてなつかしく、何度も出逢ってますが、一人減り、二人減りして淋しい限りです、と言われた。よく笑う、とても明るい人でした。

・70代男性、長田区で被災。がけ崩れで全壊。山を崩して建てた家だったので、すごい勢いで崩れましたが、ご夫婦とも元気で無事でした。市場を持っていたが全壊で仕事もなく、病院に通っている。借り上げ期限まであと10年と言われても病院に近いところに越せればいいが、赤十字と公園の近くの医者に通院しているので、もし引越しとなればこの近場がいいが、これだけはどうなるかわからない。
 パーキンソン病といわれている。リースで車を使っている。小さな声ながら少しでもとお話し下さいました。奥様を呼んでくださいましたが、料理をしているとかで、お話できませんでしたが、チラッと見ましたところお元気そうで安心しました。

・70代女性、灘区で全壊で長屋の枠だけが残った。近くの小学校に避難して、ポーアイの仮設に最後までいて、ここが当たった。子どもさんは2人。ご主人様はお元気ですかと言いますと「元気ですよ」と答えられた。私は膝が痛いので、今年から腰掛けのついた手押し買い物カゴを持って、買い物に行っていますとのこと。借り上げの件は、何としても最後までいたいと言われました。

・70代女性。入居11年。灘区で全壊。娘さんと70才のお母さんの二人暮し。お話は娘さんから聞いた。三木の方に行きましたが、仕事に不自由を感じたのでこちらに引っ越してきて、今は母と二人暮し。兄一人、姉2人。母は元気ですが、借上げ住宅に住んでおり、これから知らないとこに引越しはしたくない。コミュニケーションが又減るから、と少し心配げに答えて下さいました。
 
・70代男性、灘区で被災、全壊。避難所は学校に半年いました。それから仮設に3年いました。ちょうどお孫さんが生まれて、うれしさを表しながら帰ってこられた時にお会いしました。奥様は59才で亡くなられた。急死なので淋しい。死に目にも逢えなかった。苦しまなかったからこれは救いです。34才の娘さんは男の子と1週間前に生まれた女の子の母親です。犬と一緒に暮らしています。1日に1時間は歩いています、ととても元気な声でした。
以上


[1658] 第519回、阪神・淡路大震災 傾聴ボランティアの募集

記入者:東條健司 最終更新日:2010/11/21 19:29 [E-mail]
(HOST: p3002-ipad209kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp)

第519回、阪神・淡路大震災
傾聴ボランティアの募集

日時:2010年11月27日(土)午後1時〜7時
(訪問だけは5時に終了いたします)

集合場所、時間:「神戸市勤労会館」三宮から徒歩5分
・午後1時に7階「701会議室」にご集合下さい。

訪問先:神戸市中央区、HAT神戸・脇の浜住宅
(ご連絡は電話734-6544、ケイタイ090-8121-9709の週末ボランティアの東條健司)

前回は参加者4名でした。


・70代女性,一人暮らし。灘区で全壊。近くの小学校へ避難。寒さはこたえたが,水や食料には不自由しなかった。中にはテント生活していた人も。大倉山近くの仮設住宅を経てこの復興住宅へ。仮設住宅の方が楽しかった。仮設住宅のときの友人も亡くなり,1人だけ残った友人のところに遊びに行った。いろいろな病気をしている上,今夏は熱中症でいっそう弱った。困ったことがあると電話をすればすぐ駆けつけてくれるという優しく頼もしいお孫さんの話などで話が弾んだ。

・70代女性,夫婦2人暮らし。長田区で全壊。六甲アイランドの仮設住宅を経てこの復興住宅へ。震災までは自営だったが震災後は働きに出た。2年前,パーキンソン病が発症,転びやすくなるなど脚が思うように動かなくなり退職,現在では転んで頭を打って何針も縫うケガをしたり,トイレに行くのも大変に。夫婦で交替でデイサービスに出かけている。訪問時も5分以上かけて手すりを伝って玄関に出て,お話し伺いに応じてくださった。

・70代男性,一人暮らし。兵庫区からこの復興住宅に移り住んで3年目。ギャンブルが好きで,午前中は在宅しているが午後は外出している。今度来たときは寄ってください。訪問時お留守だったが,夕方,電話で連絡をくださった。

以上


[1657] 10/23初参加者の感想

記入者:矢萩千治 最終更新日:2010/11/10 17:17
(HOST: p1136-ipbfp2102osakakita.osaka.ocn.ne.jp)

☆I.Mさん:初めての参加で戸惑うことばかりで、ベテランの方々の話の続け方にとても感心しました。お伺い先の方がだんだんと打ち解けて話をして下さり、うれしかったです。


[1656] twitter始めました

記入者:HARA Hideki 最終更新日:2010/11/09 19:49 [WebSite]
(HOST: softbank219002183033.bbtec.net)

このたび「This is 神戸・週末ボランティア」でtwitter始めました。アカウントは「welove_kobe」です。グループの活動や情勢の記録とレポートにとどまらず、神戸の街を楽しく、人々を元気にする、さまざまな話題について、広く皆さんと情報交換し、語り合いましょう。 We love KOBE!

追記:ご叱責を賜りましたように「宗教・政党など全くの関係ない民間の」ボランティア団体として,訪問活動を行うグループの趣旨に照らして,不適切なフォローをお断りするとともに,不適切なツイートを削除しました。


[1655] 第518回、阪神・淡路大震災 傾聴ボランティアの募集

記入者:東條健司 最終更新日:2010/11/09 10:15 [E-mail]
(HOST: p2146-ipad310kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp)

第518回、阪神・淡路大震災
傾聴ボランティアの募集

日時:2010年11月13日(土)午後1時〜7時
(訪問だけは5時に終了いたします)

集合場所、時間:「神戸市勤労会館」三宮から徒歩5分
・午後1時に4階「応接会議室」にご集合下さい。

訪問先:神戸市中央区、HAT神戸・脇の浜住宅
(ご連絡は電話734-6544、ケイタイ090-8121-9709の週末ボランティアの東條健司)

前回は参加者7名でした。

・60代男性。兵庫の公団で被災。半壊。家族に怪我はない。奥さんと大学生、高校生の4人暮らし。ご主人は神戸港の検数(けんすう)職場。震災後も職場を離れられず、子供(当時小学、保育園)と奥さんの実家の広島に避難。ご主人は友人宅に一ヶ月お世話になる。港は2年ほどで開港した。震災後、職場の人間は2,3年は東京、名古屋、大阪などに行った。戻ってこない人も多い。ここには新築から、入居11年の公団。家賃が高いので隣の市営の部屋に変わりたい。3LDKで80平方メートル。市営よりは広い。家賃は10万円。今は同じ職場で契約社員で働く。自転車で通勤。神戸港は今は暇である。コンテナは韓国、シンガポールに移った。今は、中国への衣料の荷があるぐらい。給料は大変減った。だからさらに人が減る。今は、トラックの運転手で8500円ほど。10年前でも1万円以上はあった。今は基礎年金と給料。年金があるからやっていける。住民は当初の半分ぐらいになった。亡くなったりして減った。
要望はと聞くと、初めは買い物が不便だったが今はスーパーができてよくなった。将来は妻の実家があるのでそこに行くことにしている、とおっしゃり、だから今後の住宅のことは話題にはならなかった。初めは淡々としたしゃべり方だったが、途中から話が弾み、職場のことなど話しになった。若くて元気そうだった。スーパーもできて、生活上の不便はないが、今は家賃が高いことだけが気がかりだ、とおっしゃっていた。。

・70代女性。灘区で被災。半壊だが住めない。その当時は仕事をしていたので起きていた。電気の傘が落ちてきたりして大変だった。すぐにジャンパーを引っ掛けて夫と二人、ただ呆然と表に立っていた。長男が見つけてくれた。近くの小学校はいっぱいで、駆けつけてきた子どもたちと、車の中に毛布を持ち込んで6人で丸2日過ごす。避難所に安置されていた姪の父親が火葬されるまで、その間食べ物がなく、二日目にお饅頭が一つだけで過ごした。孫がお腹がすいたと悲しそうにいった言葉が思い出される。その後丸2ヶ月は息子の住んでいる西区に身を寄せる。夫は震災前から透析していた。中央病院から近くの病院に移る。二日間の避難生活で一番困ったことは、トイレの水。紙を流さないでと言われ、プールから水を汲んできたりした。仮設住宅は住んでいた近くの公園に当たって、4年間住む。顔見知りは誰もいなかった。
 借り上げ住宅入居でここに移って11年。夫は8年前に亡くなり、上の息子が2ヶ月いてくれてうれしかった。今は子供たちと孫がしばしば訪れ、友達はたくさんいるので毎日を平穏無事に送れている。血圧が高い。今用意しているものは懐中電灯と履物をそろえておく事と言われ、食器など、家具は殆ど置いていないそうだ。今も地震のテレビを見ると思い出して涙ぐむと言われる。快活に話されている様子が印象的でした。以上 


[1654] 第517(××75)回訪問活動

記入者:HARA Hideki 最終更新日:2010/10/28 02:57 [WebSite]
(HOST: softbank219002183033.bbtec.net)

前回に続いて秋らしい気候の中行われた10月23日の訪問活動は,神戸・週末ボランティアが仮設住宅への訪問活動を始めて以来通算517回,2007年7月15日の総会を契機に新たな歩みを始めてから75回目となるものです。

今回は,2人の新たな参加者とともに,このところなじんできた参加者らとともに,学び役立つという,活動の原点と注意点を確認し合うべく,貴重な機会となったというべきでしょう。また,訪問活動,終了ミーティングとも,早めに終わることとなりましたが,その直後,私たちがうかがった際に不在であった方からお電話を戴き,お話し伺いをしました。

詳細および全文は,新サイト内「2010 神戸・週末ボランティアNews and Reports」 [18]をご覧下さい。googleやYahoo!で検索してください。